23 1月

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」

古典中の古典の書には、次のような一節がある。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」。
わたしが、この一節の内容を、我々の人間関係における人生に置き換えて捉え直してみると、各々が「ぶどうの木」にもなれるし、「その枝」にもなれる。
共通点は、どちらも自然の厳しさに耐え抜いて、実を結ぶための人生の「同伴者」である。
「その枝」となるわたしが、「ぶどうの木」から離れることになれば、豊かなる実を結ぶ人生を実現することなく枯れ果てる。同時に、母体となる「ぶどうの木」も萎えて枯れ果てる。その真逆も同じである。人生の「同伴者」になるために、互いに依存する「甘え」の枝を切り捨てる決断もある。幸いにも、バランスのよい関係を創造する互いの「自立」・「自律」した「甘え」を育む栄養素を吸収できる多くの人生の「同伴者」に巡り会った私。
それが人生の厳しさともなう賜物であると感謝する。謝意をもって感じる栄養素を吸収しあう「ぶどうの木」と「その枝」は、切り離されることはない。
そこには、無条件の愛が染み込んだ大地があるから…